« もと・すえ・また | トップページ | 多摩産の木の家・5年後の訪問 »

2012年3月15日 (木)

津波警告の碑

地下鉄東西線木場駅を降りて(上って?)、南側に歩いて行くと、赤い鳥居の洲崎神社が現れる。

Simgp27941

江戸名所図会の「洲崎弁財天社」では、すぐ南側が波の打ち寄せる海岸で、風光明媚な様子が描かれていますが、寛政三年(1791)、大雨に続く大規模な高潮で、「弁天社を始め、付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出た」そうです。

S

嘉永3年(1850)の江戸切絵図を見ると、画面下側の中央に「此(の)辺一円、洲崎ト唱(う)。 深川又右門町一丁目二丁目ト有之(これあり)候(う)處、 寛政六寅年、御買上地ニ相成(り)、家作取(り)払(う」とあります。(図版は池波正太郎「江戸切絵図散歩」より)

Simgp27971_2

幕府は災害から3年後、州崎弁財天社から西のあたり一帯、約18,000㎡を買い上げて空地とし、その両端に「波除碑」を建てて、これより海側に人が住むことを禁じたのでした。名所図会にも人の背たけよりも大きい姿が描かれていますが、年月、震災、戦災を経て、砂岩で造られた石碑の高さは半分ぐらい。それにしても 説明プレートが邪魔です。(Shio)

|

« もと・すえ・また | トップページ | 多摩産の木の家・5年後の訪問 »

風の便り」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 津波警告の碑:

« もと・すえ・また | トップページ | 多摩産の木の家・5年後の訪問 »